最上のコーヒー Grand Cru Café グラン クリュ カフェ
パナマ コトワ農園
コトワ農園は、高地ではあまり栽培されないアラビカ種カトゥーラを標高1,700メートル前後の土地で育てることで、秘めたる可能性が開花したコーヒー豆。コーヒーハンター José. 川島 良彰の栽培種への考えを一変させた。
【風味の傾向】 あたたかみのある甘みとスパイシーな風味。柔らかな酸となめらかな質感が丸く優しい味わい。
- 生豆生産国:パナマ
- 生豆産地:チリキ県 ボケテ地方
- 農園:コトワ
- セクション:ボゴ
- 農園主:リカルド コイナー
- 標高:1,710m
- 栽培品種:アラビカ種 カトゥーラ
- サイズ:スクリーン 16~18
味、香りの特徴
コトワ農園について
創始者はカナダの政治家アレグザンダー ダンカン マッキンタイアー。1918年、政争に疲れ果て新天地での暮らしを夢見ていた彼は、新聞でパナマのコーヒー名産地、ボケテを知り興味を抱いた。早速、現地へ赴き、ミステリアスなバルー火山の麓に広がる景色と爽やかな気候に魅入られて移住を決意し、コーヒー栽培を始めた。当時は、電力がボケテに届いていなかったため、バルー火山から流れる豊富な水を利用して水力発電のコーヒー精選工場を作り、すべて自然の状態で栽培から精選・乾燥まで行った。
コトワ農園の素晴らしい取り組み
収穫が始まりヨーロッパに向けて輸出するようになったが、サンプルを送って返事が来るまでに数か月掛かり、価格交渉も今のようにメールで瞬時にやり取りができる訳ではない。コーヒーが売れるまで農園は、現金収入が無いから労働者に賃金も払えない。農園労働者は、家族と共に農園内で生活していて、生活必需品も農園の経営するよろず屋で購入していた。そこで農園内で流通する硬貨を作り急場を凌ぎ、代金が届くと通貨と交換した。これはコトワ農園に限ったことではなく、当時そこそこの規模でコーヒー栽培をしていた農園は、農園内のみで通用する硬貨を持っていた。しかしコトワの硬貨は、オーナーの人柄と信用からボケテの町の商店でも通用したそうだ。
現在は、4代目のリカルド コイナーが、受け継いだ伝統的な製法に、近代的な農法を取り入れて素晴らしいコーヒーを生産している。彼はホンジュラスにある中米でも屈指の名門であるサモラーノ農業学校を卒業し、その後フロリダ大学農学部を卒業、さらに同大学で環境開発学と経営学の修士号を取っている。バルー火山の自然の恵みに敬意を抱き、生物の多様性を守りながら、地元インディオと共にコーヒー栽培に取り組んでいるこの農園のコーヒーは既に知名度が高い。
僕の考えを変えた運命のカトゥーラ
農園名のコトワとは、「山脈」を意味する地元のインディオ、ノベ族の言葉。オーナーのリカルドとは1998年からの付き合い。まだパナマのコーヒーが、現在のようにアラビカ種ゲイシャによって注目される前の頃で、日本でパナマのコーヒーなど売っている店はほとんど無かったし、業界内でもパナマでコーヒーを作っていることさえ知らない人が多かった。当時ハワイでコナコーヒーの栽培に携わっていた僕に、ハワイ大学でコーヒーの線虫の研究で博士号を目指していたパナマ出身のマリオ セラシンが、リカルドを紹介してくれた。彼らは、ホンジュラスのサモラーノ農業学校の同級生だった。
ホノルルに住んでいたマリオは、リカルドと一緒にコナまで僕を訪ねて来てくれ農園で落ち合った。控え目なリカルドは、自分の農園を多くは語らなかったが、直情型のマリオが自分たちの生まれ故郷ボケテのコーヒーがどんなに素晴らしいか、コトワ農園はその中でも飛び抜けているとまくし立てた。しかし僕は、それほど興味がなかった。というのも1985年頃だったと思うが、まだノリエガ将軍が独裁政治を行っていた時代、初めてパナマを訪ねた時の印象がとても悪かったからだ。その頃ジャマイカのブルーマウンテン農園開発も一段落し、農園の維持管理と収量を増やす段階に入っていた。だが物不足のジャマイカでは、肥料も農機具も思うように手に入らずその上とても高価だった。そこで直行便のあるパナマから仕入れることを考え、調査の為にパナマに出張した。そしてそのついでにパナマコーヒーを調べて見ようと考えた。出発前の調査で、パナマにはコーヒー院も研究所もないことはわかっていたので農務省を訪ねた。パナマは、運河を利用する船舶と、駐留するアメリカ軍基地からの莫大な収益があり、政府はそれ以外の産業にまったくと言っていいほど興味が無かった。当然パナマ市から数百キロ離れた北方のコーヒー生産地域の情報など、農務省の役人に聞いても何も教えてくれなかったし、コーヒーの資料さえなく結局産地に行くことはできなかった。それ以来、僕のパナマコーヒーに対するイメージは、パナマの国内消費用に細々と栽培されていて、研究機関もない技術的に遅れた産地だった。
マリオに紹介されてから、リカルドとはコーヒーの国際会議などで何度も顔を合わせるようになったが、パナマに行く機会はなかったし積極的に行こうとも思わなかった。地元のコーヒー生産者をとりまとめて、パナマ・スペシャルティ・コーヒー協会を創設し、初代の会長に就任していた彼は、自分の農園を宣伝することは、会長として公平さに欠けると思ったのか、一度も僕にコトワ農園の話をしなかったが、パナマに来るようにとは何度も説得された。
2006年12月、ようやくパナマのコーヒー産地チリキ県を訪問した。ボケテ地方でもたくさんの農園を訪問し、ようやく最後にコトワ農園を訪問する機会に恵まれた。栽培環境に合わせてコーヒー品種を選び、流行りの品種に飛び付くようなことをしないリカルドの農園は本当に素晴らしかった。特に有機栽培のアラビカ種ティピカは有名で、アメリカに輸出され高い評価を得ていた。しかし、僕はそのティピカよりさらに高い場所に広がるセクションに驚かされた。
今まで中腹から低地での栽培に向き、日陰樹の必要ないと考えられていたアラビカ種カトゥーラが、農園内の標高1,700メートル前後のセクションでシェイドツリーの下で植えられていた。 このカトゥーラのセクションは、ノベ族の人々の言葉でボゴと呼ばれていた。「矢の先端」「小さいが重要な場所」という意味だ。リカルドはカトゥーラこそが、このボゴの環境に最適の品種だと自信を持って言い切った。僕は正直、それまでカトゥーラにはあまり興味がなかったが、この農園との出会いをきっかけに認識が大きく変わった。そしてこれ以降、数々の素晴らしいカトゥーラとの出会いが生まれる。
創業時の水を動力とした精選工場は、今でも稼働できる状態で保存されている。近代的な工場が併設されているが、リカルドの品質へのこだわりがここでもうかがえる。しかし圧倒されるのは、農園内を流れる清流の水量だ。バルー火山をフィルターにした湧水が、川となり農園内を流れている。コーヒーを水洗いする水は、水が湧き出る所までパイプを伸ばし、直接工場に引いている。おいしいコーヒーが、更においしくなる訳だ。